現象学に関する論文や著作などの資料を紹介しています。
現象学に関する論文や著作を発表されましたら、下記フォームからご連絡ください。
『交わらないリズム 出会いとすれ違いの現象学』青土社
『ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと』中公新書
『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』世界思想社
現象学的研究の成果がどんどん出ています。
『語りかける身体ー看護ケアの現象学』2018年
講談社
2001年にゆみる出版から出版された同書が、講談社学術文庫に入りました。
ワードマップ『現代看護理論ー一人ひとりの看護理論のために』2021年
新曜社
看護理論は取っつきにくくて難しい? 実践から理論を捉え直し、理論を実践に活かすために、現場の言葉をキーワードに看護理論のエッセンスを事例に照らしながら平易に紹介。臨床経験豊かな執筆陣による看護師「一人ひとりのための看護理論」の提案。
細野知子(第6章、第8章)
坂井志織(第3章、第7章)
『ケアの実践とは何かー現象学からの質的研究アプローチ』2017年
ナカニシヤ出版
看護、ドナー、助産師、統合失調症、養護教諭、リハビリ――広く多様な「ケア」の豊かな営みの諸相を明らかにする。
研究会でのご発表が書籍になりました
『日本語教師の省察的実践―語りの現象学的分析とその記述を読む経験』2022年
春風社
本書では、日本語教師の語りを現象学的に分析し、実践がどのように成り立っているのかを記述した。さらに、日本語教師がその記述を読んだ後の語りを分析することによって、現象学的に分析した実践の記述が読み手の省察を促すことを示した。これは、現象学的な分析の意義を、省察的実践の観点から明確にしたものである。
『しびれている身体で生きる』2019年
日本看護協会出版会
2年間の回復期リハビリテーション病院でのフィールドワークをもとに、しびれについて現象学的に探究した書。しびれはからだにあるのではなく、”しびれている身体”なのだ。
『病いと暮らすー二型糖尿病である人びとの経験』2023年
新曜社
健康な身体と病気の身体を行き来しながら生活している2型糖尿病の人びとは、その実態が見えづらい。この病いを生きる人たちの、「病いと言いがたい」経験と「病い」の経験が織り交ざる暮らしを丁寧に記述し、新たな治療・ケアのあり方を探った労作
村上靖彦(2018).在宅無限大 訪問看護師がみた生と死.医学書院.
村上靖彦(2016).仙人と妄想デートする―看護の現象学と自由の哲学.人文書院.
西村ユミ(2016).看護実践の語り 言葉にならない営みを言葉にする.新曜社.
諸富祥彦・末武康弘・得丸智子(さと子)・村里忠之(2016).「主観性を科学化する」質的研究入門 .金子書房.
杉林稔(2015).精神科臨床の足音〈私〉を〈希望〉に調律する日々,星和書店.
松葉祥一・西村ユミ編集(2014).現象学的看護研究 - 理論と分析の実際,医学書院.
西村ユミ(2014).看護師たちの現象学-協働実践の現場から,青土社.
佐藤登美・西村ユミ編著(2014).〝生きるからだ〟に向き合う-身体論的看護の試み-,へるす出版.
家高洋(2013).メルロ=ポンティの空間論, 大阪大学出版会.
村上靖彦(2013).摘便とお花見 看護の語りの現象学,医学書院.
村上靖彦(2013)「子供の死における想像上の過去ーー助産師Bさんの語りから」(『精神医学と哲学の出会い 脳と心の精神病理』,中山剛史・延原幸弘編著, pp. 88-101),玉川大学出版部.
西村ユミ(2007).交流する身体―〈ケア〉を捉えなおす,日本放送出版協会.
西村ユミ(2001).語りかける身体-看護ケアの現象学,ゆみる出版.
学術論文紹介
小林道太郎・坂井志織(2022).長期にわたって強迫性障害をもつ人の「自分」と病気の捉え方:インタビューからの現象学的質的研究、医学哲学医学倫理.第39号、pp54-64
坂井志織・細野知子(2021).自覚症状のない複数の疾患と長期間付き合う経験からの一考察.保健医療社会学論集.第32巻1号.pp55-63.
田中雅美 (2021).生存の限界といわれる子どもへの代理意思決定を担った母親の経験:現象学的研究 日本看護科学会誌. 第 41 巻. pp20-28
細野知子(2021).想定外の大惨事で一変した暮らしから捉える糖尿病の経験―指標を記録しなかったある1名の語りから .日本看護科学会誌.第 41 巻. pp305-312 https://doi.org/10.5630/jans.41.305
細野知子(2021). 糖尿病手帳をつける経験の現象学的探究 ――自己血糖測定時のつぶやきを通じて―― . 現象学と社会科学.第4巻. pp69-87 http://jspss.org/PSS/pss04-6_hosono.pdf
細野知子・栩川綾子(2021). 現象学的研究が記述した糖尿病者における病い経験の特徴に関する一考察 . 哲学的基盤と研究デザイン. 第24巻2号. pp135-144https://doi.org/10.24616/jaden.24.2_135
管生聖子(2020).「死んでしまうことはもうわかっている」わが子を「産む」母親の語りの分析.心理臨床学研究,38(5),400-410.
Noguchi A., Inoue T., Yokota I.(2019). Promoting a nursing team’s ability to notice intent to communicate in lightly sedated mechanically ventilated patients in an intensive care unit: An action research study. Intensive and Critical Care Nursing. 51:64-72. doi.org/10.1016/j.iccn.2018.10.006
田中雅美 (2019).重症心身障害児で生まれた我が子を見つめる母親の経験 ―動かない我が子を、「僕」として認めるまで―. 家族看護学研究. 25(1). 148-159.
細野知子(2019).食事療法の難しさを伝える糖尿病者における食事経験の現象学的記述 .日本糖尿病教育・看護学会誌.第23巻1号.pp43-51. https://doi.org/10.24616/jaden.23.1_43
Yasuhiko Murakami (2018). Phenomenological Analysis of a Japanese Professional Caregiver Specialized in Patients with Amyotrophic Lateral Sclerosis. Neuroethics. 1-11. DOI:10.1007/s12152-018-9379-2
家髙洋(2018). 事象の現れ方から実践を考える 看護実践の語りに基いて. 東北医科薬科大学 教養教育関係論集, 第31巻, pp15-49.
坂井志織(2017).他人みたいなからだを生きる―中枢神経障害患者のしびれている身体の経験.日本看護科学会誌,第37巻,pp132−140.
家髙洋(2017). 質的ケース・スタディの正当性 「ケースの知」と「個別」、そして「普遍」. 東北医科薬科大学 教養教育関係論集, 第30巻, pp23-52.
菊池麻由美、羽入千悦子、佐竹澄子、青木紀子(2016).初めての看護学実習における学生の臨床の見え方の変化.日本看護学教育学会誌,26(1),1-13.
菊池麻由美(2016).筋ジストロフィー病棟看護師の行うポジショニングの技.日本看護技術学会誌,14(3),238-247.
菊池麻由美(2016).看護職らしさを支える知覚‐ある看護学生の「身体知」が変わるとき‐,看護教育,57(12),964-969.
村上優子(2016). 病院を変わった看護師の経験の意味.日本看護管理学会誌,20(1),7−17.
家髙洋(2016). 看護研究における実践に関する知識の基本的な枠組み. 看護研究,49(3),212-224.
榊原哲也(2016).看護と哲学 看護と現象学の相互関係についての一考察.看護研究,49(4),258-266.
小林道太郎(2016).補い合うことと考えること ある看護師へのインタビュー分析から.看護研究,49(4),267-275.
三浦智美(2016).哲学を学びながら臨床現場で働く.看護研究,49(4),285-292.
坂井志織(2016).生きられたからだを描く 回復しつつある身体の経験から.看護研究,49(4),293-299.
細野知子(2016).慢性病者の経験の記述に関する一試論“第二の人生”が主題となった語りを手がかりに.看護研究,49(4),300-307.
村上優子(2016).まわりの人との関係の中で「できる」ということ 現象学が見せてくれるもの.看護研究,49(4),308-315.
村上靖彦(2016).インタビュー分析の言語学的基盤,個別者の学としての現象学.看護研究,49(4),316-323.
西村ユミ(2016).「そうではなくて」という思考のスタイル 現象学と看護研究の関係を捉え直す.看護研究,49(4),324-335.
杉林稔 ・松田恵理子(2016).音楽療法士がきりひらく時空間.日本芸術療法学会誌 .47(1).80-91.
近田真美子(2016).看護師の語りの現象学 ACT(アクト)で働くことにした.精神看護 19(3), 258-274.
榊原哲也(2016).現象学はあなたにもきっとおもしろい!教務主任養成講習会を通して.看護教育,57(4),250-257.
前川幸子(2016).現象学的に読む学生のまなざし,教員の学び 看護実習での「経験」をめぐって.看護教育,57(4),262-266.
西村ユミ(2016).私を揺り動かし,新たな意味に気づいていく 看護教員の語り,現象学的分析の試み.看護教育,57(4),268-274.
野口綾子・井上智子(2016).Light sedation(浅い鎮静)中のICU人工呼吸器装着患者の体験.日本クリティカルケア看護学会誌,12(1),39-48.
坂井志織(2016).慢性硬膜下血腫“疾患前”の患者経験―生活に馴染んでいく“症状”.質的心理学研究,15,104-123.
近田真美子(2015).あっと驚くACTです 「暮らしを支える」ってこういうことだったのね.精神看護 18(1),2-26.
細野知子(2015).長期の経過をたどる2型糖尿病者の生活における病いの経験―10年を経て語り直すということ―.日本看護研究学会雑誌,38(4),1-13.
榊原哲也(2015).透析看護に活かす現象学.透析ケア,21(11),80-88.
榊原哲也(2015).最初で最後、本当に外線その一回きり―透析ケアの現象学試論―,哲学雑誌,130(802)(『「いのち」再考』),75-97.
坂井志織・栩川綾子・細野知子・村上優子(2015).【ディスカッション】大学院生からみた現象学とグラウンデッド・セオリー〈大学院生の声〉.看護研究,48(6),542-547.
西村ユミ(2015).対談からうまれた3つの「問い」.看護研究,48(6),548-550.
村上靖彦(2015).現象学的な質的研究の方法論.看護研究,48(6),558-566.
村上靖彦(2015).現象学的な質的研究の多様性.看護研究,48(6),567-570.
細野知子(2015).現象学的看護研究の立場から.看護研究,48(6),578-580.
Ietaka Hiroshi.The basic framework of knowledge about practice in nursing research, 臨床哲学, 16, 42-60, 2015.
田代幸子:集中治療室看護師の実践の意味,看護研究,47(7),611-622,2014.
守田美奈子:急性期病棟での緩和ケア みなでやりきった実践の意味,看護研究,47(7),646-657,2014.
西村ユミ・前田泰樹:病院全体のバランスを見る 病棟看護師長の語りとその編成,看護研究,47(7),679-690,2014.
石田絵美子:筋ジストロフィー病棟に暮らす患者たちの経験―青年期の患者たちとスタッフの「かかわり」の経験に注目して―,保健医療社会学会論集,25(1),30-40,2014.
家高洋:研究にとっての〈現実〉(前編)―看護における質的研究の前提と正当性・7,看護研究, 47(1), 62-73, 2014.
家高洋:研究にとっての〈現実〉(後編)―看護における質的研究の前提と正当性・8,看護研究, 47(2), 156-167, 2014.
木村敏・西村ユミ:討議 看護ケアと臨床哲学,現代思想,41(11),38‐61,2013.
西尾美里:精神科デイケアにおける「見守る」実践の構造,現代思想,41(11),86‐97,2013.
石田絵美子:筋ジストロフィー病棟で暮らす患者たちの経験 臥床して暮らすAさんの能動性に注目して,現代思想,41(11),98-110,2013.
大村佳代子:血友病患者の病いの経験にみる血友病医療の発展にともなう社会的問題性,現代思想,41(11),111-125,2013.
近田真美子:〈関係性〉をつくる重度の精神障がい者の地域生活を支える看護実践から,現代思想,41(11),126-136,2013.
松葉祥一:現象学者は普遍的心理の夢を見るか メルロ=ポンティの「事実的普遍性」,現代思想,41(11),137-151,2013.
村上靖彦:ローカルでオルタナティブなプラットフォーム 助産師Eさんと現象学的倫理学,現代思想,41(11)152-165,2013.
サンドラ・P・トーマス/八重樫徹+黒田論訳:メルロ=ポンティのレンズを通して看護研究への現象学的アプローチを進展させる,現代思想,41(11),166-190,2013.
大塚類:空想の共生 子どもが母親の不在を受け容れていく歩み,現代思想,41(11),204-216,2013.
家高洋:質的研究の前提と主題は何か―看護における質的研究の前提と正当性・1,看護研究, 46(1), 90-103, 2013.
家高洋:言語について―看護における質的研究の前提と正当性・2,看護研究, 46(2), 216-225, 2013.
家高洋:ガダマーについて~看護研究におけるその意義―看護における質的研究の前提と正当性・3,看護研究, 46(3), 336-346, 2013.
家高洋:実践の知について~看護研究におけるその基本的な枠組み―看護における質的研究の前提と正当性・4,看護研究, 46(5), 520-529, 2013.
家高洋:看護研究におけるケースの知の意義(前編)―看護における質的研究の前提と正当性・5,看護研究, 46(6), 620-628, 2013.
家高洋:看護研究におけるケースの知の意義(後編)―看護における質的研究の前提と正当性・6,看護研究, 46(7), 728-739, 2013.
北尾良太ほか:回復期リハビリテーション脳卒中者が語る病い経験に関する研究-医療者との関わりから”後から病いがわかっていくこと-,日本看護研究学会誌,36(1),123-133,2013.
村上靖彦:事例を現象学的に読む―現象学的な質的研究の方法(看護師の語りを例に),臨床精神病理,33(3),315-322,2013.
飯田淳子:「手当て」としての身体診察―総合診療・家庭医療における医師‐患者関係,文化人類学77(4),523-543,2013.
西村ユミ・前田泰樹:時間経験と協働実践の編成――急性期病棟の看護に注目して,看護研究,45(4),pp.388-399,2012.
西村ユミ・前田泰樹:事象の方に示される通りに――フィールドワークの経験,看護研究,45(4),pp.400-408,2012.
西村ユミ:「現象学的研究の多様性と普遍性について」日本看護研究学会雑誌,35(1),pp.37-39,2012.
西村ユミ:時間経験と看護実践の編成――新人看護師の実践に注目して,メルロ=ポンティ研究,第16号,pp.27-40, 2012.
西村ユミ:「音」の経験と看護実践の編成,現象学年報28,pp.1-11、2012.
西村ユミ:看護ケアの実践知――「うまくできない」実践の語りが示すもの,看護研究,44(1),49-62,2011.
西村ユミ・前田泰樹:「痛み」の理解はいかに実践されるか?――急性期看護場面の現象学的記述,看護研究,44(1),63-75,2011.
西村ユミ:看護実践はいかに語られるのか?――グループ・インタビューの語りに注目して,質的心理学フォーラム,2,pp.18-26,2010.
西村ユミ:ケアの意味づけに立ち会う―メルロ=ポンティの視線に伴われて,思想,11(1015),pp.183-199,2008.
西村ユミ:患者を理解するということ―看護師の経験、その身体性に学ぶ,現代思想 12月臨時増刊 総特集メルロ=ポンティ 身体論の進化と拡張,36(16),212-221,2008.